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かつて箕輪町に存在した地ビール、喜楽ビールのはなし

箕澤屋の歴史 箕澤屋のこと

今から100年以上も前のはなし、箕輪町のこの地に、ビール醸造所があったなんて、知っている人はもうほとんどいないと思います。

ここ箕澤屋(小原家)には、明治時代にビール醸造所がありました。その記録として記念碑が建立されています。箕澤屋での活動を始めてから、いくつもの過去の資料が集められ、いくつかのビール醸造所の記録が。せっかくなので、箕澤屋の喜楽ビールにまつわる歴史を少し紐解いてみました。

日本のビールの始まり

まず、箕澤屋のビールを知るにも、日本のビールの歴史を簡単に触れておきます。

日本のビールの歴史は、江戸時代末期、ペリーが来航した頃に外国からビールが持ち込まれたと言われています。その後、蘭学者の川本幸民という人物が、日本人で初めてビールの醸造に取り組んだところから、日本のビール醸造が始まりました。

1869年(明治2年)に、日本初のビール醸造所「ジャパン・ブルワリー」が設立されて以来、キリンビールの元となる「スプリング・バレー・ブルワリー」や、エビスビールのルーツとなる「日本麦酒醸造会社」、アサヒビールの「大阪麦酒株式会社」など、今も名が残るビールを醸造するブルワリーが数々と設立されました。

明治20〜30年代になると、地ビールブームが起き、事業として将来性ありということで、各地でビール醸造がはじめられ、全国の醸造所の数はピークに。当時、日本全国にあった醸造所の数は100社以上だったそう。

信州箕澤屋で信濃麦酒合資会社創立

そんな時代背景の中、キリン、サッポロ、アサヒなどの各ビール会社から10年ほど遅れて、信州箕輪町の小原家(箕澤屋)でも、ビール醸造所を設立。時代の波にのって、ビール事業に着手したようです。

会社名は、信濃麦酒合資会社
正確な創立日はわかりませんが、過去の資料から読み解くと、だいたい明治35年〜37年頃のよう。

ビールのブランド名は、「喜楽(キラク)ビール」

しい」だなんて、なかなかいい名前だなー、なんて思ってしまいました。

喜楽ビールの販路は、伊那谷を中心に山梨や新潟など、県内外に渡ったそうです。資料によっては、海外にまで輸出されていたともあり、かなり幅広く販路を開拓していたよう。

当時の社長である小原政吉の地ビール戦略は、非常に積極的だったらしく、大々的なチラシ広告を打ちました。

広告に書かれた内容の要点がこれ。

「旅順口墜落の公報到着の日から五日間は、喜楽ビール半額祝売」

ん?よく理解できません。
はい、調べました。

つまり、当時日露戦争の真っ只中であった時代に、日本軍が、旅順口=日露戦争最大の激戦地であった地域の港 への攻撃を行っており、そこで港が墜落したことの報告がきた日から5日間は、祝いとして喜楽ビールを半額で販売しますよ、ということ。

当時、この地方の広告では大規模なものだったそうで、こんな広告を出すのも、当時、一般庶民には馴染みの薄かったビールを大々的な広告を打つことで、一気に販路拡大を狙ったものと考えられます。

酒税法により廃業へ

明治34年(1901年)、軍備増強のために、明治政府は麦酒税を導入。1908年(明治41年)には、最低製造数量基準が1000石(180kl)へと引き上げられ、税負担も大きくなりました。

その後、最低製造数量基準は順次引き上げられ、多くの中小の醸造所は、その負担に耐えきれず廃業。喜楽ビールも例外ではなく、廃業以外に道はなかったようです。

最低製造数量基準、税負担と、何が大きな要因だったかは定かではありませんが、信濃麦酒合資会社も、どこかのタイミングで、これ以上事業は続けられないという判断に至ったと考えられます。

信濃麦酒合資会社が、明治35〜37年に創業したということが正しいとすると、信濃麦酒合資会社が事業活動をしていた期間は、ほんの5〜10年程度かもしれません。その短い期間の具体的な活動は、まだはっきりとは分かっていません。

ちなみに、180klがどのくらいかと言うと、1kl=1000lなので、500mlの缶ビールが36万本ということですね。今でこそ、年間最低製造量が1994年に60klにまで引き下げられ(引き上げられた最低製造量は、近年の酒税法改正前には、遂に2000klとなっていました)、今のクラフトビールブームにもつながっているのでしょうが、規制一つで本当に時代が変わるんだなーと、リアルに感じます。

後世に残したいと記念碑建立

結局、信濃麦酒合資会社が存在した正確な年数は分かりませんが、この古民家 箕澤屋にかつてビール醸造所があったことは確かです。

その証拠として、いまも記念碑があります。当時の社長の跡とりとして迎えられた先々代のおじいさんが、今から約数十年前に、この地でビールが製造されていた後世に残したいと、記念碑を建てたそうです。記念碑には、「キラクビール発祥の碑」と書かれています。

ちなみに、こちらの小屋がおそらくビール醸造所の一部があっただろう建物です。

お酒好きな私としては、いまここにビール醸造所があって、夏にできたてのビールが飲めたら最高だなーなんて、この喜楽ビールの話を聞くたびに思ってしまいます。

残念ながら、資料をいろいろ探しても、喜楽ビールのパッケージなどは今のところ見つかっていません。どんな味で、どんな見た目のビールだったのかなぁ?もしご存知な方がいたら、ぜひご連絡お待ちしています。

 

※この記事は、箕澤屋で保存されていた新聞・雑誌などの記事、及び下記のサイトを参照して書かせていただきました。

<ビールの歴史について参照させていただいたサイト>
KIRIN 日本のビールの歴史

サッポロビール株式会社 歴史・沿革
Wikipedia「ビール」「酒税
地ビール会社で働く広報の日記

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2017年のカフェ営業・イベント共に終了いたしました。7月〜の短い期間でしたが、本当にありがとうございました!
来年は、5月頃の再開を目指しています。箕澤屋でまたお会いできるのを楽しみにしております。

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箕澤屋の管理人Ayaoです。あるきっかけから築150年古民家「箕澤屋」に関わることになりました。生活の半分を箕澤屋拠点にして、箕澤屋のこと、周辺のこと、ときにはそれ以外のことなどを書いています。詳しくはこちら
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